クラブ関東概要
Outline福井理事長挨拶
先ずクラブ関東の歴史について申し上げますと、第2次世界大戦終戦直後の昭和26年4月に創立されました。時の日銀総裁であった一万田尚登さんが、経済界の16名の重鎮の方々を役員にお迎えして、東京都千代田区一番町の麹町の地、すなわち現在の英国大使館の裏手にクラブを構えました。
次に、設立の経緯についてですが、今も大阪堂島の地で活動しておりますクラブ関西がクラブ関東創立の3年前の昭和23年2月に創立されたことが大きく影響しております。すなわち、戦後荒廃した大阪の地に、関西経済界の復興を図るために大阪の経済人が中心となってクラブ関西を創立したのですが、日銀理事大阪支店長も務められた一万田さんが、クラブ関西の活動理念に共鳴し、それを基に東京にも新しいクラブを作りたいとして経済界の方々にお諮りし賛同を得てクラブ関東を創立したという次第です。
従って、クラブ関西の皆さまにはクラブ関東創立に当たって多大なご支援・ご協力を頂戴しており、現在も姉妹クラブとして双方の会員がお互いに利用できる仕組みになっております。
さて、クラブ関東の活動理念ですが、クラブの設立趣意書を見ますと、当初から欧米のクラブ活動を模範として活動することを企図しています。とりわけ特筆すべき点は①当時機会に恵まれなかった家庭のご婦人方に経済・文化・芸術の多方面にわたって社会性涵養の場を提供することを目指したこと、②国内だけでなく外国の皆さまとの意見交換の場を提供し広い視野と豊かな情操の習得を目指したことです。この点は、その後当クラブにおいて会員のご婦人方を中心とした婦人部が大きく成長し、クラブ主催催し物における参加者の中心となったほか、各範にわたる講習会活動が活発化することに繋がっています。
また、外国の皆さまとの交流については、昭和40年以降、外国大使館の大使以下との交流会の実施という当クラブ独自のユニークな催し物の開催として結実しており、現在までに40回、31か国の大使の方々と交流を深めて参りました。
その後クラブの場所は、最初の麹町から、諸般の事情から平成13年4月に丸の内の当時の東京銀行協会ビルの19階に移転し、さらに一帯の再開発のために平成29年2月からは現在の大手町パークビルディング6階に再度移転して現在に至っております。
現在の場所は、眼下に皇居東御苑の美しい緑の森を望むことができることもあり、会員の皆さまからは「落ち着きが大変感じられ質の高い装いのある場所」との高いご評価を頂戴しております。
さて、私どもでは創立以来70年間、会員の皆さま方の楽しい談笑の場、憩いの場に相応しい数々の西洋料理を自前の7名の調理人によりご提供して参りました。幸い、ご好評いただいており、特にコンソメスープ、お食事の際のお土産としてのパウンドケーキなどは当クラブ独自の味覚とも言われております。今後ともこうした自前の料理のご提供に拘って参りたいと思います。
ところで世の中、IT革命が進み、特にこのコロナ禍の中ではリモート飲み会と言われる宴会が流行るなど変化のスピードが一段と速まっています。ただそうした中で、むしろ今まで以上に、顔と顔、言葉と言葉、心と心といった、人との触れ合いの大切さを改めて再認識した、とのお声がかえって強まっているようにも思われます。先ほど申し上げたリモート飲み会も今ではかなり下火になっているようです。
私どもでは、そうした皆さま方の人との触れ合いを大事にする思いに応えて、親しみやすく品格のある「交流の場」を、「おもてなしの心」を大事にしながら、今後ともご提供し続けたいと70周年にあたり改めて思いを新たにしております。会員の皆さまに置かれましては、今後ともクラブ関東を末永くご愛顧いただきますよう心よりお願い申し上げます。
令和3年11月30日 (創立70周年記念特別講演会開催時)
理事長
福井俊彦
Toshihiko Fukui1958年日本銀行入行。副総裁を経て、富士通総研理事長、経済同友会副代表幹事などを歴任後、2003年3月より日本銀行総裁に就任。2008年同総裁退任後、キヤノングローバル戦略研究所理事長に就任、現在に至る。
クラブ関東の歴史
クラブ関東は戦後間もない昭和26年4月に、東京千代田区1番町21番地の地(英国大使館の裏手、麹町地区)に設立されました。当時は敷地3874平方メートル[1172坪]の土地に本館[1782平方メートル、3階建]と別館[495平方メートル、2階建]があり、ラウンジ[2つ]、ホール、食堂のほか、7つの大小の個室がありました。
その後平成13年4月に千代田区丸の内一丁目3番地の東京銀行協会ビル19階フロアーに場所を移すとともに、平成25年1月には、政府の公益法人改革に伴い、社団法人から一般社団法人に移行しました。
そして平成29年2月からは、千代田区大手町一丁目1番地の大手町パークビルディング6階に再度移転し現在に至っております。
設立趣意書
我国経済文化諸般の矛盾困難の最中にあって、内外ともに接触交流、切磋琢磨の必要一層甚しきを痛感いたし、我国の新なる発展の責任を負うと共に深刻なる国際社会の誠明なる一員として、愛敬される如き文化国家の建設に此の上とも一層献身すべきでありましょう。
吾々はかゝる念願の下に夫々の持場に於て最善を尽して我国の再建に貢献すべきこと固よりでありますが、同時に家庭婦人をも交え経済、文化、芸術等各界の人士互に交りを厚くし又内外人の交際を密にして、自由活潑なる意見の交換を図り、広い視野と豊かな情操の修得に努めることが必要且有益であろうと存じます。
かの欧米に於けるクラブ活動が社会的交歓の裡に会員相互の親睦を図り、一般的素養と見識の向上に資し、或は時あって炉辺の談論はやがては燎原の火と燃えさかり一世を風靡するに至るが如き、社会文化の豊かなる建設を志するものゝ以て範とするべき所であろうと存じます。
吾々は敍上の見地より茲にクラブ関東を設立し、各位の便益に供すると共に些か邦家の発展に資する所あらんことを希ふと同時に、其の機会に恵まれざる我国家庭婦人の社会性涵養の場とも為らんことを期待するものであります。又先きに同様の趣旨を以て設立されましたクラブ関西とは特に密接に連携して東西各界の円滑なる和合協調に寄与せんことを期する次第であります。大方の御賛同を賜わらば幸甚であります。
昭和25年5月
目的〈定款第3条〉
本クラブは、社会的文化的活動を通して、公益に資することを目的とする。
事業〈定款第4条〉
本クラブは、前条の目的を達成するため、次の事業を行う。
- 1 )各種講演会、演奏会等の文化的行事の開催
- 2 )社会・文化・福祉活動等への支援・協力
- 3 )各国大使館との文化交流活動
- 4 )会員相互の素養と見識の向上
- 5 )事業遂行のための会館の設置および維持運営
- 6 )会館運営に伴う食堂経営
- 7 )その他本クラブの目的を達成するために必要な事業
歴代理事長
- 初代
- 一万田 尚登
- Hisato Ichimada
- 昭和26年4月 ~ 昭和30年7月
- 2代
- 矢野 一郎
- Ichiro Yano
- 昭和30年7月 ~ 昭和46年8月
- 3代
- 今里 廣記
- Hiroki Imazato
- 昭和46年8月 ~ 昭和60年5月
- 4代
- 森永 貞一郎
- Teiichiro Morinaga
- 昭和60年11月 ~ 昭和61年5月
- 5代
- 前川 春雄
- Haruo Maekawa
- 昭和61年7月 ~ 平成1年9月
- 6代
- 杉浦 敏介
- Binsuke Sugiura
- 平成1年11月 ~ 平成10年2月
- 7代
- 三重野 康
- Yasushi Mieno
- 平成10年2月 ~ 平成21年2月
- 8代
- 福井 俊彦
- Toshihiko Fukui
- 平成21年2月 ~ 現在
役員名簿
- 理事長
- 福井 俊彦
- 非常勤
- 日本銀行 元総裁、キヤノングローバル戦略研究所理事長
- 理事
- 秋山 智史
- 非常勤
- 富国生命保険 相談役
- 理事
- 飯島 彰己
- 非常勤
- 三井物産 顧問
- 理事
- 井上 善雄
- 非常勤
- 巴川コーポレーション 社長
- 理事
- 大橋 光夫
- 非常勤
- レゾナック・ホールディングス 名誉相談役
- 理事
- 奥 正之
- 非常勤
- 三井住友フィナンシャルグループ 名誉顧問
- 理事
- 木村 惠司
- 非常勤
- 三菱地所 特別顧問
- 理事
- 杉田 亮毅
- 非常勤
- 日本経済新聞社 元社長
- 理事
- 常陰 均
- 非常勤
- 三井住友信託銀行 特別顧問
- 理事
- 中村 胤夫
- 非常勤
- 三越 元社長
- 理事
- 日比野 隆司
- 非常勤
- 大和証券 特別顧問
- 理事
- 平野 信行
- 非常勤
- 三菱UFJ銀行 特別顧問
- 理事
- 三村 明夫
- 非常勤
- 日本製鉄 名誉会長
- 理事
- 宮原 耕治
- 非常勤
- 日本郵船 元社長
- 理事
- 宮本 洋一
- 非常勤
- 清水建設 会長
- 理事
- 茂木 友三郎
- 非常勤
- キッコーマン 名誉会長
- 理事
- 山本 惠朗
- 非常勤
- みずほフィナンシャルグループ 名誉顧問
- 理事
- 渡邉 光一郎
- 非常勤
- 第一生命保険 特別顧問
- 常務理事
- 村山 俊晴
- 常勤
- 日本銀行 元監事
- 監事
- 石原 邦夫
- 非常勤
- 東京海上日動火災保険 元社長・シニアアドバイザー
- 監事
- 島田 紘一郎
- 非常勤
- 日本化薬 元社長